2018/03/21 07:32


更新遅くなりました(^_^;)

For The Mission Project のNATU/ZwölFです!


さて、今回は前回の続きということで。

3/10、宮城県気仙沼市の旅を振り返っていきます。


前日の雨はどこへやら!

晴れました^ - ^


写真は気仙沼復興協会さんの事務所のある、旧ファミリーパークみうら。

空きスーパーの店舗を事務所として使っていると聞きました。

ちょっと前までは看板もあったのが、前日の強風で飛んでいってしまったようです……。


この日のKRAボランティア活動には、遠くからreviveさんが団体でいらっしゃいました。

他にも個人参加の方、いつも参加している方、毎シーズンきている東洋大学学生ボランティアセンターの方など。


余談ですが、私も昨年の同じ日に東洋大の学ボラメンバーとして参加しました。

(今は退学し、働きつつ各地を巡っています)


それから写真にうつっている青い車は、今回足を提供してくださったNさんの。

前日の雨もあり、結構泥だらけにシチャイマシタ。ゴメンなさい(^_^;)



メンバーは40人超えたかな?

そんな感じでミーティングスタート。

気仙沼の過去と今について、それから活動内容について。


10日の活動は、明戸方面の海岸での清掃活動及び遺留物捜索となりました。


海岸にいく前に、杉ノ下地区に寄りました。


ここは、震災時、避難場所として指定されていた高台です。


3.11当時

60名の方が避難し

そして

56名の方が

津波によって亡くなりました。


三方向を海に囲まれたこの高台。

重なり合って高さを増した津波により、避難したにも関わらず、多くの方が亡くなってしまった、悲しい場所です。


震災後は避難場所ではなく、防災広場として整備されました。

そして慰霊碑や高台、太陽光発電などが設置されました。


慰霊碑では、参加したボランティアメンバー全員で黙祷を。


近くでは今も工事が続いていました。

ちょうど植樹が行われており、ここに人々が戻ったとき、住民の方の防災と憩いの場となるよう願いました。


付近にはいくつも震災当時そのままの震災遺構が残っています。

興味のある方はぜひ、調べてみてください。


駐車スペースより。

青空、青い海。

とても美しい光景です。

この付近は養殖場がたくさんあるみたいですね。貝類かな?



こちらは海岸まで続く道より。

あの日の津波で破壊されたまま、ロープが張ってあります。


このあたりは海岸沿いに道路が走っていたようなのですが

津波で破壊され、そのまま海に沈んでしまったり、砂浜の下に埋もれてしまっています。


砂浜と道路の境界には黒い袋の土嚢がたくさん積まれていました。

そのあたりを歩いていると、砂浜の岩の下に下敷きになってひしゃげた車の一部等がいくつか見られました。


砂や岩の下に、誰かの思い出がまだまだあるのだと思うと、やるせない気持ちになりました。



さて、砂浜のゴミの様子ですが、かなり綺麗。

最近流れ着いたと思われる洗濯機の残骸など。比較的新しめだったので、不法投棄のものでしょうか。

あとはペットボトルや缶など(^_^;)

タイヤのホイールなんかもでてきましたね。大きいものだと、運ぶのに一苦労です。


他に、震災時のものと思われる、アルミの手すりのようなものが少しだけ引っ張り出せました。

それから、道路の一部と思われる残骸も、いくつか掘り出せました。


7年、波に揺られ、ようやく姿を現してくれたもの。

とはいえそのままにしておくと危険なので、こちらも回収。


あとは、海の生き物で、気仙沼名産のホヤがたくさん落ちてました笑

これは少し苦手かも…

牡蠣やアワビの貝殻もみられました。


そして、海岸にきたもう1つの目的。

津波の被害にあった方の遺留物の捜索です。

ゴミを拾いながら、何か手がかりになりそうな物がないか、目を凝らしながら探します。

海藻類や岩の隙間に引っかかっている可能性があるので、その付近は念入りにチェック。

砂も30cmほど掘っては埋めて。


これらのものは、めったに見つかることはありません。

特にご遺骨らしきものでも、7年の経過で茶色っぽい色になっていて、石や木と見分けが付きにくいです。

1cm〜3cmの小さなものが、ごく稀に見つかるくらい。

それらしきものが見つかったとしても、その骨が人間のものであるかもわからないので

とにかく鑑定してみないことにはわからないんです…。


なので、捜索もかなり注意を払って行わないといけません。

すごく地道な作業ですし、99パーセント見つからないだろうな、という感じです。

それでも、待っている方がいる限り、私たちが捜索をやめることはないでしょう。


諦めなければ、とはいいませんが、それでも、探さないでいたら永遠に見つからないままなんです。


結果この日、それらしいものが見つかることはありませんでした。

ですが、この先も、毎日、毎時間、姿を変える海や浜辺を探していきます。




さて、海岸清掃のほうは午前中で終了です。

reviveの皆さんと別れを告げ、事務所にもどりお昼休憩。


午後からの作業は、事務所の一角にて、商店街で行われていたお祭りの案内板の解体作業です。

震災後に場所などが変更になったため、不要になってしまったものを、手際よく片付けていきます。


ベニヤ1枚から木の骨組みを外し、ネジをぬいたら

木材をノコギリなどで小さく切っていきます。


これもまた大切な大切なボランティア。

古くからの伝統やお祭りは、震災があっても続けていきたい。

街を活気づけられるなら。



ボランティアといっても、本当に形様々です。

託児所で子どもの面倒をみるボランティアもあります。

保護者の方が働いている間、子どもたちに寄り添うのも、大事なボランティアです。

もし、働いている間に部屋の掃除機かけといてって言われたら、それも大事なボランティアになります。


大きなものだけでなく、それぞれのニーズに合わせ、小さなことと思われがちなことでも向き合っていくこと、

相手の立場を考えていくこと、

これらは本当に本当に重要なことです。


被災者といっても、一人一人の状況、思い。

「3.11被災者」とまとめて一括りに考えるのではなく、出会った人その人と向き合っていきたいです。


今回の活動では、改めてその思いを強く感じました。



最後に。

いつもFor The Mission Projectにご協力いただいている皆様へ。

3/10 気仙沼復興協会様に

ドライロンTをお買い上げいただきました方々よりお預かりしていた7000円を合わせまして

「For The Mission Project 一同」として、20000円を寄付させていただきました。


これからも皆様のお力をお借りすることあるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。


この度は本当にありがとうございました。


NATU/ZwölF